2014年1月9日木曜日

08 <第1章 「記憶」のなかの原石> 青きドナウ


私が通っていた小学校は、開成小学校という名前だ。
東大合格者数の多さで有名なあの開成中学・高校とは何の関係もない公立(大阪府枚方市立)の小学校だ。

ピアノのレッスンを受け始めたのが、その開成小学校2年生の春。
 ピアノはオルガンのように、絶えず足で空気を送る必要がない。さらに膝で音量をコントロールして強弱を付ける必要もない。とても快適だった。

 最初のピアノの先生は音大の声楽科を出て、子供たちにピアノや歌を教えていた女性のW先生だった。鍵盤を弾くときの姿勢、手首の位置や指の形など、オルガンでは気にしなかった注意が必要になり、余分な力を抜くことが最初の頃は難しかった。
でもとても優しかった先生のおかげで、順調にレッスンを続けていった。

日曜日だったのか夏休みだったのかは忘れてしまったが、ピアノを習い始めた年のある日、母と2人でウィーン少年合唱団の映画を見にいったことがある。おそらくW先生の薦めもあったのだろう。
その映画を見たことがきっかけで、私は歌も習いたいと言い出したようだ。好奇心が旺盛だったのか、自分が感じたことを素直に母に言っていたようだ。
そして、W先生にピアノと歌の両方を習うことになる。

映画の題名は「青きドナウ」。
ウォルト・ディズニーが製作したもので、調べてみると私が見た2年前に製作されていた。
大人になってから再びその映画をテレビで見る機会があった。
やはり少年たちの歌声が美しいことと、変声期を迎える少年を軸に展開される感動的なストーリーが心に残る作品だ。小学生の私が気に入ってしまった理由がよくわかった。

ピアノと歌を習い始めたものの、興味とは裏腹に恥ずかしさを少しずつ感じるようにもなっていた。ピアノを習っている男の子なんて、本当に少なかった時代だ。ピアノは女の子が習うもの、という感覚が大人にも子供にもあった。
「上田はピアノを習ってるんやで。女の子みたいやな」
などと、男の同級生たちにひやかされたりすると、恥ずかしくてたまらなくなった。毎日決まった時間をピアノの練習に充てていたが、外で友だちたちの声が聞こえると「ピアノを弾いていると、またひやかされるな」と考えたりする。

ピアノも歌も嫌いじゃない。でも、ひやかされるのは恥ずかしい。
たわいもないことだが、当時かなり恥ずかしがり屋だった私にとっては、それなり大問題だった。

放課後は昆虫採集や里山での遊びを謳歌し、夕方には家に戻ってピアノと歌の練習をする。練習しながら、密かに「男らしい何かをやりたい」と考えていた。
小学校三年になってすぐ、その「男らしい何か」が、身近な場所にあることを知る。

それは近所の中学校の体育館で週3回開かれていた剣道の道場だった。
「行きたい!これこそ僕が求めていた男らしいものだ!」と思った。
ひとつだけ心配があった。その頃の私は、まだ運動神経があまり発達していなかったようで、体育がそれほど得意ではなかったことだ。それこそ一人っ子だから、競争意識も薄かった。
幼稚園の運動会で母と交わした会話だが、よく笑い話として後に母から聞かされた。

「かけっこは何等だったの?」と母が聞くと、
「五等!」と嬉しそうに答えたらしい。さらに母が
「何人で走ったの?」と聞くと。なんのためらいもなく
「五人!」と。
そんなとぼけた一面を持つ子供でもあった。

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