2014年1月3日金曜日

03 <第1章 「記憶」のなかの原石> 足踏みオルガン


父も母も音楽とは無縁の人だった。
父は酔っぱらうと演歌や流行歌を口ずさむものの、機嫌が良い時に限るという条件付きだった。母が歌う姿は、あまり記憶に無い。
そんな両親との生活だから、特に日常的に音楽に親しむという環境は無かった。
 
香里団地での生活が始まった数年後には、「白黒テレビ」があった。いわゆる「三種の神器」といわれたものの一つだ。音楽と言えばそのテレビから時々流れてくる流行歌ぐらいだったと思う。

そんな私が音楽教育を受けるきっかけは、実にたわいもないことだった。
幼稚園に通っていたちょうどその頃、ヤマハが電気オルガンを使った「音楽教室」の展開を全国で始めていた。
その教室に通う友達が羨ましく、また何となく好奇心もあった。
子供の頃の私は、あまり自分の欲求を口に出して言うタイプではなかったが、どういうわけか母に「自分も音楽教室に行きたい」と言ったらしい。
あの時そう言い出さなかったら、音楽を始めるきっかけは無かったかもしれない。

子供に音楽を習わせるなんて、まだまだ贅沢な時代。
教育熱心だった母は、おそらく教室に通わせるお金のことで、父と夫婦げんかをして私の希望を叶えてくれたのだと思う。でもさすがに音楽教室で習う電気オルガンは高価で手が出なかったのだろう。
しばらくは家に楽器もなく、紙に印刷された鍵盤を押さえながら、練習の真似事をしていた。紙の鍵盤を押さえても、当然ながら音は出ない。
紙の鍵盤での練習では、メロディーを歌いながら指を動かしていたはずだが、どう考えても無茶だ。あえて良く言えば、イメージトレーニングに近いものだったような気もするのだが…。

近所に住んでいた両親の友人夫婦が見かねたのだろう。奥さんが幼稚園の先生をしていたとかで、ある日どこからか使わなくなった中古の足踏みオルガンを調達してきてくれた。
その日は楽器というものが、我が家に初めてやってきた記念日でもある。

とても嬉しかったのだが、子供にとって足踏みオルガンは扱いにくい。
通常は足もとの二つのペダルを交互に踏んで空気を送り続け、鍵盤を押さえると音が出る仕組みなのだ。構造上、椅子に座らないと両方のペダルは踏めない。ところが椅子に座ると幼稚園児の身長では足が届かない。
結局は立って右足で身体を支え、左足で何度もペダルを踏みながら弾くという、何とも不自然な状態にならざるを得ない。鍵盤の位置は子供にとっては高いところにあるから、オルガンを弾いている姿はずいぶん滑稽だったと思う。

上達すればさらに滑稽さが増すことになる。
大人の右膝が当たる部分に音量をコントロールするレバーがあり、音楽の強弱が付けられるようになっていた.強弱は音楽の表現で大切な要素のひとつだから、上達するにはその操作が必要になる。
鍵盤を弾く両手以外に、両足も大活躍。左足はペダルを踏んで空気を送り、右膝あたりを左右に動かして強弱レバーを操作する。両手は肩の位置に近い場所まで上げないと鍵盤を上手く弾けない。なんともアクロバティックな姿だ。

そんな笑い話のような練習を重ねていたオルガンとの出会い。
可笑しくもあり、有難くもある。
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 次回は 04 <第1章 「記憶」のなかの原石> 不思議な音世界
 前回は 02 <第1章 「記憶」のなかの原石> 里山とロバート・ケネディ

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