2014年1月8日水曜日

06 <第1章 「記憶」のなかの原石> 一人っ子の憂鬱


私は一人っ子だ。
そのことがずっと嫌だった。というよりも「一人っ子だから…」「一人っ子は…」と言われるのが、とても嫌だった。実は今でも嫌だったりする。
 「一人っ子だから、何でも買ってもらえていいわね?」
 「一人っ子だから、どうせ甘やかされているんでしょ?」
 「一人っ子は兄弟げんかを知らないから、社会性に欠けるんじゃないの?」
 「一人っ子は、わがままだからね」

 半ば憶測で周りの人たちはいろいろ言うものだ。究極は「一人っ子はダメなのよ」とまで言われたこともある。挙げ句の果ては、父までも「一人っ子だから…」などと、怒鳴ったりする。
自ら望んで一人っ子になったわけではないのに、まるで一人っ子が罪悪のような感じだ。特に私が子供の頃は、一人っ子の割合がとても少なかったから、完全に弱者だった。
兄弟で切磋琢磨することがないから、たくましく生きて欲しいと親は願うのだろう。だから実際は、兄弟がいる家庭よりも意外に躾など厳しかったりする。親の期待が加わればなおさらのことだ。

豊かではなかったけれど、一人っ子だから私一人にお金をかけてもらえた。そのことにはとても感謝している。でも何でも買ってもらえたわけではない。あたりまえの話だ。
親の愛情が一人に集中するから、周りからは甘やかしているように見えるのも無理はない。でも私は「あれ買って!」と駄々をこねたことは一度もない。そんなことが許される家庭ではなかった。
兄弟でおかずを取り合う経験も当然無い。だからご飯を食べるスピードが子供の頃は遅かった。そのことで、ずいぶん父に怒られた。
兄弟げんかを知らない分、父にはずいぶん殴られた。ある時は夫婦げんかの“とばっちり”を受け、自宅の階段上から「獅子は我が子を千仞(せんじん)の谷から突き落とすんだ!」と言いながら本当に蹴り落とされたこともある。階段下まで転がり落ちた。壁に足をぶつけて生爪がはがれた。今となっては笑い話だが、その時はあまりの痛さに大泣きした。

そんなに一人っ子はダメなのだろうか?
兄弟げんかをすれば社会性が本当に身につくのだろうか?
一人っ子は必ず、わがままなのだろうか?

一時期は劣等感に苛まれた時もあるが、一人っ子も捨てたものではないと思ったりもする。

大人との生活が中心になるから、大人が考えていることを察する能力が小さい頃から発達する。
大人を基準に考えることが多いので、精神的には早熟だったりする。
一概には言えないが、おもちゃを取り合ったりする経験がないから、独占欲があまりない。友達に平気で貸してあげたりする寛容さを持ち合わせている。
そして独立心や責任感が人一倍強いのも、意外に一人っ子だったりする。

そんな私にも兄がいた。この世に無事生まれてきていれば、たぶん2人の兄がいたはずだ。考え方を変えれば、2人の兄がいたら父の経済状態から考えて、私という人間は存在していなかったかもしれない。
小学校低学年の頃だろうか、母になぜ自分には兄弟がいないのか聞いたことがある。母は返答に困ったはずだが、私の記憶では少なくとも2度男の子を流産したことを教えてくれた。そして奇跡的に私が無事生まれたこと、流産の影響でもう子供を産めないことも、きちんと話してくれた。
母の悲しさに触れた気がした。なぜ兄弟がいないのかを、二度と聞くことはなかった。

これも大切な記憶のひとつだ。
その母は癌で、私が30歳のとき、59歳で亡くなった。


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