気がつけば、いつも遠回り
レクイエム・プロジェクトを主宰する作曲家・上田益の生い立ちも含めたこれまでと、これから。なぜプロジェクトに至っているのか?そこに至るまでの遠い道のり、そして今後などをエッセイ風に綴ります。
2014年5月27日火曜日
30<第3章 レクイエムへ至る25年> 壮大なスペース・ファンタジー~造形作家・新宮普さんとの出会い 2~
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新宮さんとの仕事の極めつけは、やはり野外で行われた壮大でファンタジックなショーだろう。「たそがれシアター“キッピスと仲間たち”」と名付けられたそのショーは、 1994 年の 5 月 28 日に、兵庫県三田市にある青野ダムサイト公園で行われた。 新宮さんが企画・構成・...
29<第3章 レクイエムへ至る25年> 風に導かれて~造形作家・新宮普さんとの出会い 1~
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今から 30 年前、私がカルチャースクールで企画していたコンサートの第2弾は、フルートだけで行うものだった。フルートを習おうという人たちが多かったこともあり、その教室にはフルートの講師がたくさんいた。 また私の師匠である廣瀬量平先生が深く関わっていた、東京フルート・...
2014年5月21日水曜日
28<第3章 レクイエムへ至る25年> 初めてのイベント音楽
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母が亡くなってから、映像作品やテレビCM、イベントなどの音楽を手がける機会が少しずつ増えていく。当時から関西ではそういった仕事の絶対量は、東京に比べると明らかに少なかったが、出会った方々とのつながりから仕事をいただき、自分の音楽が求められていく事は、自信にもなり嬉しいことで...
2014年5月18日日曜日
27<第3章 レクイエムへ至る25年> 母の死
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関西に戻り四年目の秋、母は亡くなった。私が 30 歳の時だ。 脾臓に出来たガンが肝臓に転移していた。私が大学 4 年の時に母は子宮ガンを患ったが、その転移ではなく原発性だった。 定期的に検査をしていたにも関わらず、見つからなかったようだ。もともと見つけにくい...
2014年5月6日火曜日
26<第3章 レクイエムへ至る25年> ゲンダイオンガクな日々
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関西に再び戻ってからの私は、演奏家の仲間たちと様々なコンサートを行い、どんどん作品の発表も行うという「ゲンダイオンガクな日々」が日常となっていく。 いわゆる何をもって「現代音楽」と呼ぶのかを定義づけることは難しい。表現の手法が先鋭かつ前衛的で、抽象的なイメージがど...
2014年4月28日月曜日
25<第3章 レクイエムへ至る25年> 着ぐるみは人格を変える?
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大学卒業後、 3 年間の東京での修行時代を経て 27 歳の時に関西に戻った私は、それから 25 年という時間をかけてレクイエム・プロジェクトに導かれていく事になる。 関西に戻り、カルチャースクールでの仕事を始めて、それまでやったことが無いような体験もずいぶんした。子...
2014年4月3日木曜日
24<第2章 遠回りのはじまり> まわれ右
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廣瀬先生は「まず 10 年間、音楽的な部分も含めて自分の足もとをしっかり見つめなさい。 10 年続ければ何かが見えるよ。」と私に常々語っておられた。 文化庁の芸術家国内研修員として始まった最初の東京生活も 3 年目を迎えた秋、私は次のステップをどう踏み出すかを考えていた...
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