2014年2月27日木曜日

20<第2章 遠回りのはじまり> 魅力と魔力

 私が通うことになった京都市立芸大の音楽学部は、当時岡崎という場所にあり、平安神宮の神苑、つまり庭園に隣接していた。
 各学年の定員は60名。その60人の枠の中に作曲をはじめ、各専攻生がいる。全学年合わせても240名。とても小さな学部だ。
 キャンパスというには少々古ぼけていたが、狭いながらも風情は満点。大学のキャンパスというよりは、寺子屋といったほうが近いかもしれない。(写真は当時のままの姿で残っている校門横の守衛室跡)
大学の敷地全体は終戦直後まで武道専門学校があった場所であり、武徳殿という武道場や弓道場などが残されていた。その外観がお寺のようだったので、観光シーズンともなれば外国人がよく間違えてキャンパスに入って来る。学内にはしだれ桜があり、春には花見まで出来る。秋になると“いちょう”の木の下で銀杏を拾う光景まで見られた。
 
 西洋のクラシック音楽を学ぶ大学とは思えない環境だが、それがまた日本的でもあり、京都らしくて気に入っていた。平安神宮の庭園との境には、申し訳程度に金網があるのだが、ボロボロに朽ち果てている箇所が数カ所有り、いわばそこが学生にとっては庭園への無料の入り口でもあった。
 数が少ない練習室は、どこも隣の音が筒抜け。ある時プレハブの練習室でピアノの練習をしていたら、隣の部屋でアンサンブルの練習をしていたピアノ科の先輩が入ってくるなり楽譜を指さし、
「上田くん、さっきからここの臨時記号をずっと付け忘れているよ!」
と注意してくれたりする。よほど気になったんだろう。

そんな音の入り交じる練習室のすさまじい環境にも関わらず、みんなその場所を奪い合うように練習していたことを思い出す。
 特筆すべきは、春のゴールデンウィークになると、その前後を含めた10日間ほどが休校になったことだろう。理由は毎年必ずその時期に全国武道大会が開催され、練習室をはじめ学内のほとんどの部屋が関係者の控え室などに使用されるためだった。
何とも大らかな時代。そして私にとっては何もかもが魅力に満ちた空間だった。
かつての剣道少年は、なぜか剣道を再開することもなく、音楽に没頭していく。

音楽大学では、「副科」といって専攻以外に履修する科目がある。ピアノと声楽だけが必修という専攻が多い中で、「作曲科」はそれに加えて弦楽器、管楽器、指揮法なども必修科目だ。
私は大学1年で弦楽器の単位をまず取った。選んだ楽器はコントラバス。オーケストラでは一番低音を支える楽器でもある。ヴァイオリンを選ぶ人が多い中、私はどこか思考が変わっていたのかもしれない。

鍵盤楽器以外の本格的な楽器に初めて触れられる機会。もう楽しくて仕方がない。毎日コントラバスの練習ばかり。専攻が「作曲」であることを忘れているかのような毎日を送っていた。
担当の先生も、専攻生と同じだけの時間を私のレッスンに充ててくださった。

コントラバスの魅力は、私を虜にした。
魅力と言うよりも魔力と言ったほうが近いかもしれない。完全にハマっていた。ひたすら練習を続け、ある日「オーケストラ」の授業を担当する先生に相談した。
2年生になったらオーケストラの授業を受けさせて下さい!」

なんという無謀な相談だろう。
本来は弦、管、打楽器の専攻生しか受講できない授業。さすがに前例の無い、前代未聞の相談なのは明白だ。
いくら自由な校風と言っても、今の時代ならそんな希望は受付けてもらえないはず。
ところが先生の回答は、
「学年末のコントラバスの試験で、他の試験教官全員のお墨付きをもらえたら受けさせてやる」
というものだった。
もう有頂天だ。チャンスがあるのだ。ますますコントラバス専攻のような生活に浸ることになっていく。
 僕にとっては、魅力と魔力に満ちた時間の始まりだった。



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