2014年2月11日火曜日

19 <第2章 遠回りのはじまり> サクラは咲くか?

入試要項の発表は、音大の受験生にとって重要な意味を持つ。実技試験の課題曲、選択曲が発表されるからだ。
私が受験した頃の京都市立芸大では、作曲専攻に課される副科ピアノが例年かなり難しかったし、合否判定のなかでも専門実技と同程度重視されるという話だった。
副科とは専門以外の科目という意味だが、私が受験する年の作曲専攻に与えられた課題は、リスト作曲の「二つの演奏会用練習曲」から「森のささやき」という曲だった。

リストの曲は「ラ・カンパネラ」や「愛の夢」などが広く知られている。ピアニストでもあり、超絶的な技巧の持ち主だった彼のピアノ曲は、群を抜いて難易度が高い。「ピアノの魔術師」と呼ばれていたほどだから、簡単に弾きこなせる曲ではない。
まして私はピアノ科志望の人間ではないし、それなりに上達はしていたが、リストの曲を弾きこなせるほどではなかった。弾いた経験も皆無だ。
課題曲を見て愕然としたことは、言うまでもない。

「ピアノの実技がネックになるかもしれない」と本当に思った。
専門の実技に自信があったわけではない。ただ作曲の実技課題を攻略するには何が必要で、どこまでのレベルを入試で要求されるかは概ね把握できていた。
だから専門実技で落とされるならまだ納得がいくと思えた。ところがピアノの課題曲は想像をはるかに超えた難曲。それが一番の不安材料だったのだ。

要項の発表後から、それまで作曲関連の実技習得に充てていた4時間とほぼ同じ時間をピアノの練習に費やした。とにかく弾くしかない。少しずつ形にして、入試に間に合わせるしか方法がないのだ。
「父の家出」騒動の間も、もちろん練習を休むことはできない。

年が明け、入試も二ヶ月後ぐらいに迫ってきた頃になると、不思議に見通しが立ち始める。手前味噌ながら自分でもピアノが飛躍的に上達したのでは?と思える状態になっていく。家の近所のおばさんからも、「ピアノが上手になったねぇ。レコードの音が聞こえてきたのかと思ったわ」と言われ、根っからのポジティブ人間である私は、お世辞を真に受けてさらに練習に拍車がかかっていく。

高校の音楽のM先生に頼み込んで、入試前の約2ヶ月は音楽室のグランドピアノを授業が始まる前の時間帯に1時間ほど貸してもらうことにも成功する。自宅のピアノはアップライトという縦型だが、試験はグランドピアノ。微妙な違いもあり、出来るだけ慣れておく必要があったので、有難かった。
その音楽の先生まで試験直前の1ヶ月ほどは、初見視唱やコールユーブンゲンといった、歌をともなう課題のチェックを手伝って下さった。當麻先生はじめ、音楽に関係するまわりの先生方が懸命にサポートして下さったことは、大きな心の支えでもあった。

3月初旬、いよいよ入試が始まった。
作曲の実技試験は2日間。和声法という理論的な試験が初日。与えられたモチーフを元に、何も楽器を使わずにピアノ曲を作曲する試験が翌日だったように記憶している。どちらもその時までに蓄えた力を、ありのまま出す以外は考えなかった。それでダメなら力不足以外のなにものでもない。

例年、作曲専攻は15人程度が受験し3人程度しか合格しない。ところがこの年に作曲専攻を受験した人数は20名を超えていて、倍率で言えば8倍程度の予想だった。
しかも他の人たちは少なくとも3年近く作曲の受験勉強をして、試験に臨んでいる。私はその半分の時間しか勉強していない。
でも受験すると決めて準備をしてきた以上、そんなことは言い訳にすらならないことが、よくわかっていた。
専門実技が終わり、合格できる可能性は自分の判断では40パーセント。残りの実技試験でその確率がさらに下がらないように頑張るだけだった。

ピアノ、聴音、新曲視唱、コールユーブンゲン、楽典といった実技や筆記試験と、学科試験などが数日間にわって行われた。
一番不安だったピアノも、受験できるレベルの演奏に何とかこぎ着けていたし、試験でも無事に弾き終えた。当然ながら、最終的には作曲の専門実技の成績によって合否が決まる。

合格発表までの約一週間を、どう過ごしていたのかまったく覚えていない。空白の時間だ。
そして発表の日がついに来た。

合格者の受験番号が張り出される瞬間は見たくなかった。ダメだろうと思っていたので、急いで見に行く必要も無かった。
大学の掲示板の前に到着したときには、多くの受験生はすでに帰った後で、数人がいる程度だった。
そして受験票の番号を確かめながら、合格者の番号と照らし合わせていく。

「あった!」
「自分の番号があった!」

嬉しさと、気恥ずかしさのような気持ちが押し寄せて来た。自分で顔の表情が次第にほころんでいくのがわかる。
でも「やっぱり見間違えたのではないかな?」と不安になり、何度も確認した。
  
音楽と無縁の家庭に生まれた私。
でもオルガン、ハーモニカ、木琴、ピアノ、歌、エレクトーンといったものを習わせてもらえた。続けさせてくれた親に心から感謝した。
父に「一度だけ」認めてもらった機会を、何とか生かすことができて、安堵した。

寺を継ぐ道を自分で外れてしまった私が、音楽を専門に学ぶ大学に進学することになった瞬間だ。それは自分が進むべき道に初めて光を感じた日でもある。
もちろんまだ何も始まっていない。ただ、音楽を専門に学ぶ入口に立っただけ。すべては、これからだ。その後に待ち構えている様々な出来事、そしてその過程で表現していく者としての自分が形成されていくことなど、想像もしていなかった。

祝、サクラ サク!


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